子どもの心をおしはかる

大人であっても、他人の気持ちを理解するのは難しいし、自分の気持ちに気づくことだって簡単ではない。

 

子どもは、さらに難しい。

寄り添うことはできても、ぴったりくる言葉をかけるのも難しい(そもそも、そんな言葉がまだない、イメージの中を生きてるのかもしれない)

 

娘が夜中にシクシクと泣いていた

これまで無かったことで驚いた。

それで、どうしたのかと聞いたんだけど、なんでもないと言う。

何か話すんだけど、深夜のこともあり、もう嫌なんだとか、半分うなされているみたいなことで、私にはなぜそんなに泣いているのかよくわからない

 

数日たって、朝、よく話を聞いてみると、

習い事で辛いことがあったと言う話をしていた

それで、やっと、なにが起きたのかが分かって、そういうことがあったら大人でも傷つくな、というのはよくわかった

でも、子供の場合はそれの何から本人が傷ついたのか、本人もよくわかってない時もある

 

本人が話した限りにおいて本人の傷や起こったことについて家族で話し合ったり一緒に何かしながら様子を見るんだけど、それに本人が神妙に聞いたり加わったりしているうちに、なんとなく今は離れた方が顔色がいいなとか、見えてきたりする

 

本人の感情とは別に意思は意思で存在するので、気持ちとはまた裏腹にやりたいことというのもある

難しい

 

かえって、同じ習い事をしていて歳が近いきょうだいのほうが、パッと状態が想像できたりするけど、そんなに保護者のタイプでもないのであまり付き合ってはくれないみたいだ

余はいかにして落ちこぼれ大学院生となりしか

大学院にはずっと入りたいと思っていた。大学を出てからずっと。

書籍をたくさん読んで考察することが元々好きで、研究というものにも憧れていた。

でも、敷居は高くそんなに研究したい対象も当時はなかったので大卒後20年間くらいはやってなかった。

 

10年くらい前から入りたかった院があって、4年ほど前に思い切って応募して合格した。

その時は関連して夢中になっていた事業があったので、非常に熱意があって、地域づくりとかそういうことにもとても夢があったのだ。

入試や単位を取るための勉強は、そんなに大変という感じではなかった。

社会人大学院生だったが、フルリモートだったから昼間の授業も結構うけたし、たぶん、20年ぶりでの英語の授業とかでもプレゼンまでこなして日本人唯一で完遂したり、とにかく楽しくて頑張っていた。

 

それがだんだん曇ってきた。

曇ってきた理由は複数ある。

 

まず、周りの人が立派すぎた。

立派というのは色んな意味があるけど、肩書きがすごいとか、組織的に大きなお金がかかるプロジェクトをしているとか、そういう感じ。

地域づくりというのは、大学院に入るまでの当時の私は、住民一人一人が作っていくものだと考えていた。ボトムアップを想定していたのである。

しかし、そうではないことがわかった。ただ、それ自体は、学びの成果としてはよかった。

まちづくりは行政が計画し、お金を儲けるために企業も参画する。ハードウェアをどう作っていくか。そこにスポットライトの当たる部分が多いプロジェクトである。お金のかかったプロジェクトがどうあるべきかというのが地域づくりの大きな主眼になる。

そこで、地域づくりは誰のため?というのが私の疑問として心の奥にこびりついた。

 

住民主体の小さい組織とか、町会とか、そのような活動は大きなお金を動かす力のない人たちがやる余暇活動である(のだろうか?)。

私は当時しがない主婦であり、そんな人は同期に1人もいなかった。というかしがない資格職で、職業はあるんだけど地域づくりにおいては単なる無給のボランタリーな事業家であったから、地域活動の福祉的な精神論についてまともに取り合ってもらえていないと感じたことがあって、かなり傷ついた。例えば、障害のある人や、認知症の人が地域で危険なく暮らしていける地域づくりが大事だと私は自然に考えてきたんだけど、

授業の中で"それってなんの役に立つのか?"と聞かれた。

説明が不可能とは言わないが、結構ショックで、対応し続けることにだんだん疲れてきた。入る場所を間違えたと感じるようになった。

視座の高さや角度の違いというか、自分のフィールドに対する無関心に、違和感をおぼえたし、結局のところ自分もそうした人たちに傷つくだけで興味を持てなかった。

あなたは抽象的にものを考えることができないんだね、と言われたが、そういうことなのかもしれない。逆の立場に立ったことがないので、うまく解釈できなかったのかもしれない。

(たぶん私にとっては、ほぼブルシットに見えてしまったのである。)

 

第二に、自分の事業が行き詰まった。

住民主体の活動は、どういうかたちなら持続可能なのだろうか?

子供がまだ自立していない母について、私たちより十数年上の代は、多くが専業主婦だった。

 

私の子は今小学生だが、うちの子どもも当初保育園に行っていて、わたしはフルタイムのワーキングマザーだった。

が、のっぴきならない事情(発達グレー)で退園し、割と手厚いお金のかかる幼稚園に行くことになった。が、そこで母の私がフルタイムで働くということで、好きなことばかりしているとか、子供が可哀想であるとか、言われることも多かった。

しばらく頑張ったけど、夫は幼稚園に反対していたので、ワンオペで幼稚園のプログラムとフルタイムの仕事と両立できず、かなり疲弊した挙句5年くらい仕事を辞めて専業主婦をすることになった。(うち数年間は療養生活で、それこそマインドフルネスで回復した)

今でも、その頃の多くのママ仲間は専業主婦だ。

 

そうした中で、これもずっとやりたかった社会事業というかボランティア活動を立ち上げたわけだが、内紛というか、世代間の調整で行き詰まった。

数十年前の主婦の地域活動の黎明期のように活動をしてほしいという年上の方に、座学で理解してから活動を起こすことを求められた。また、彼女たちは、仕事についても"地域ボランティアは忙しく、やっていると働くことは難しいだろう、私たちはそうだったの"という。

で、活動仲間募集の対象として、"幼稚園に子供を預けている専業主婦"などを対象に、勉強会を開催するようにと言われた。(もちろんそれ以外の人を受け入れないというわけじゃないけど、メインの戦力とは考えてないのだと思う)

だけど、我々の世代においては、かりに幼稚園児の母と言ったって、そもそも昼間暇をしていて座学に興じることができて、しかもそういう人たちで無休で地域貢献をする組織をすることを志すような人間が、まわりにあんまり見当たらない。もうやってる仲間はいたけど、距離が1人だけ遠かったのもあって新しく探すのに難渋した。

幼稚園のママ仲間は遠いし、近くにやりたい人はいるけれど、みんな協力するよ、とかそんな感じになる。

あと、みんなで話したことがあるけれど、同様のこと(例えば居場所を作るとか、そのスタッフになるとか)を報酬を得て行えるのになぜ無給で行わなければならないのかという疑問をもつ人が何人もいた。…色んな意味で、余裕のある人も少なかった。

結局、たぶん、当時の市民活動は、専業主婦の人とか、お金に困っていなくても時間のある人の無給の"貢献"で成り立っていて、やりがいで報いてきたのかもしれないが、現在は少し世の中が変わってきて、昔よりも不公平になっているのに、自分より弱い立場の人にも当然のように貢献を求めているような格好になってしまっている。

 

少なくとも私自身も当時フルリモートの正社員だったから時間に融通は聞いたものの、仲間がたくさんは見つけられなかったし、負担を強いるのが辛かった。

年配の方に、今の時代に合った形で、参加型で、働いている人も楽しんで行える活動にしましょうと提案したが、理解ができないと言われた。

で、結局、一旦事業自体をたたむことにした。同時に子どもも落ち着いてきたので再就職した。

そうして、次に立ち上げるときは、かならず参加者が、必要な部分は経済的に報いられるかたちにしたいと思った(今、人に誘われて細々とやってるボランティアは、収益があっても全額団体が受け取ったことにして寄付に回してるけど、単にコミュニケーションが楽しくてやっている)

例えば、公務員や収入に困っていない人、ブルシットジョブの人(今の私なんだけど)とか、余暇に地域の活動に参加することが自分にとって価値のあることと考える人がもしいたら、無給っていうか最低限度の経費でいいのかなとも思うけど、そうでない人もいる。

そうでない人にも無給で奉仕活動を求めるのは、どうなんだろう。年配の人が言うような幼稚園児の母っていうのは、よほど世帯収入とかなけれら、前者になりづらい気がする。

そういう人たちに母性の名の下に犠牲を強いて成立する活動を今のわたしはやりたくない。

しかし、この判断によって自分の研究対象がなくなってしまった。

 

最後に、研究自体が行き詰まった。

上記の社会事業は、最初から私の研究対象だったので、まず当座の研究対象がなくなった。

さらに、先生に自分の抱えた困難を伝えてテーマ変更を訴えても却下された。

 

私は社会学が専門で、しかも公的扶助の関係を専門として働いてきたのだけれど、前述のように自分の大学院ではなかなかその視点の共有が難しいように感じていた。

上手く言えないけど、自分の言ってることが通じてない、先生の言っていることになんの意義があるのかわからない、という感覚が続いた。

一方で私は学部をふたつ出ていて一つ目は理系で情報科学だったので、分析は割と好きだった。こっちはどこにおいても役立ったし、Pythonスクレイピングも統計分析も機械学習も、作業として楽しい。元々好きだからすぐにキャッチアップできた(もちろん、昔も今もとても優秀な層には入れないけど)。

それで、とにかく大学院に入ってしまった以上修了しなければと考えて、結局自分の専門分野を離れて、学部の専門の分析で修論を書くことにした。

 

が、そういう先生についたため、私が自分の研究フィールドがなくなったからといってデータの採取が不可能とは考えない。

同等の活動は社会にありふれているのでそこからとってくれば良い。当然である。

また、その場合に各個人が抱えている主観的な問題は、関係ない。これも当然わかる。

我々の考える社会的意義(活動の動機)は、あくまで主観的なものである。でも特異な活動は存在して、結果として人もものも規則性を持って動いてるわけだから、データを集めてその規則性が特異なことを統計的に意味のあることと示せば論文としては意味がある。院生なんだからそれが仕事。

 

いや、きっとそうなんだけど、それに持続的な興味を持てるとするなら私はそもそも自分の生業に転向してなかったんだと思う。

 

さらに、現場の人がそのことになんの意味があるのか?と言い始めた。あなたのことは好きだから協力したいけど、それってなんの意味があるの?。

この部分は難航を極めて、半年以上返事が返ってこなかったり、危険性とかについてもやりとりが長引いた。

意味っていうのは、そちらにとっては、ないよね。単に興味を持ってくれて研究しようとしてくれているのはわかるし、あなたのことが好きで、そのことが嬉しいので、こちらが害されない限りは協力できるよ!でも、傷つけないでね!と。

 

…私なりに説明にあたってデータと主観的な意義を結びつけようとするけど、それはエクスキューズにすぎないので、このままだと単なる迷惑で負担だ。結局のところどちらに対しても誠実でもなんでもない状況になってきた。

 

自分の仮説もつまらないなと思ったけど(外山義先生の本を読んでみたりして、どうやったらフィジカルのデータと福祉と結びつけていけるか考えたけど、私に立証できることなんて大したことはない)、先生にもある特定の部分に差異が出ればそれで良いと言われたのでそれ以外はオプショナルだと考えて作業を続けていた。

 

でも、誰得?

 

日常やっている仕事は、一応人の役に立っている。

でも、これは、基本的にこのままだと人の迷惑や負担でしかなく、自分自身も意義が感じられなくなってきている。

 

で、こんなことはもうやめよう、私には相応する能力がなく、向いていないことだから違うことをしようと思って、大学院を退学しようとしたところ、

手続き中になぜか複数の方に引き留めていただいて、

自分にはとても修了などできないと感じていたが、一回ペンディングして休むことにした。

 

そうして、

箸にも棒にもかからない大学院生となった。

 

 

 

得牛

記録によれば2019が瞑想の始め。

しばらくやってからinsight timerっていうアプリを使い始めてiPhoneと連携してたので、その頃からの記録が残っている。

ネットで知ってまもなくカバットジンの本を読んで、それに則ってプラクティスを始めたので、MBSRよりになったのは少しあと。

 

さらにいうなら、正式なMBSRを受けたのは(オンラインだけど)さらに後。

 

カバットジンの本によって瞑想をするのは、非常に効果があった。

当時森田療法もやってたけど、森田療法は外に出ていくという意味では大変良いんだけど、根本解決にならない。てか、しない。

そういうもので良いとする。

でも、それではすまないこともある。

ていうか禅においても結局はそうではないと思われる。

たぶん懊悩の種類や感覚が生病老死以外の要素が違う部分はあったかもしれない。戦とか。

とはいえ鴨長明とか読むと今も昔も同じだなって思うけど。

 

unspoken feelings を意識化(aware)することで人が苦痛から解放されていく、というのは実際問題本当にあることで、少なくとも私は実感したんで間違いないと思う。

たとえその経過にそれなりの苦しさがあったとしても、だ。

ただ、それは言葉による精神療法と目指すところとしてはそんなに変わらないかなと思わないでもない

力があるのは瞑想そのものなのだと思う。

自分自身に関してでも、公案に関してでも、瞑想し続けることは同じなので…

 

…だけど、本来、これは本一冊と自分自身で可能な事柄でもある。

師匠はあったほうが良いと思うけど恵まれなければいなくてもやらざるを得ない。

仏陀ヴィパッサナー瞑想創始者ということで、この系統の技術を教えてくれるところは、必ずしもMBSRに限らずたくさんある。

でも現代人が突然、夜船閑話とか摩訶止観とか読めたものではない。とつぜん修行に出られない。

 

MBSRはどうしてもお金がかかる

何をやってもお金はかかるけど。

溜め込まない、お金が幸せではないという考えと現実が離反してしまう気がしている

生きていかなければならないからお金は必要、だが、お金次第になってしまう一時分がなんとなく違和感がある

 

故にあれは入り口なんだと思う。

カバットジンはとても優秀で、誰でも実践ができて多くの人の精神を救う方法を、数千円の本にして世界中に行き渡らせた。

本来的に、本一冊でできること。

 

だけどきっと、

到達点は同じなのかもしれない。

むかし読んだ西遊記かなんかに仏に至る3000の道があり…みたいなのがあった気がする。

 

しかし違和感を持つこともある。

MBSR関係とかでたまに出てくるインドのお金がなくても幸せな人の話がある。何も持っていなくても、満足していて幸せである、と。

なるほどそれは実際幸せであろうけれど、

私は、アマルティア・センの、それは平等?っていう考え方が一つ引っかかる

誰かが悟りを開こうとすることは、誰かが人としての義務を果たさなくても良い言い訳には当然ならないし、awareであろうとする人はこの部分にもっとawareでもよいのではないかと思うのだ。

 

ブッダは皇子だったから全て捨てて出家している。

それができない我々にとっては、何がなすべきことなのか。

 

 

マウンティングマウンテン

ももちゃん役の伊藤沙莉が可愛かったなと思い出してみる

 

私もいまだによく登るんだけど、

そういうときって今ここに安心感がなくて、

私が私でいることがいてもたってもいられないくらい不安な時なんだな、と今日ふと思う

 

とても大変なことがあったけど

少なくとも今ここで呼吸している私はラッキーにも安全なところにいる

今ここはあの時とは違う、安心だ、ということを忘れてしまうと

心が以前起こっていた不安を思い出して、今もまさに不安の中にいるようになって飲まれてしまうんだけど、

その辛かったことは今起きていない

 

ここは、その辛かったことからはフリーで、安心なのだ

4月になってからずっとピリピリするようなことがあって

だいぶ傷ついてたしだいぶ悲しくなっていたことに気がついた

4月になってからゆっくり瞑想することもまともにできてなかった

 

よって、今ここに戻ってきたところで今日はおしまいだった

マインドフルネス

ゴールデンウィークにサイレントリトリート5daysに参加するつもりでとても楽しみにしていたんだけど、

月曜日に父が亡くなった関係で、葬儀があって今日は、参加できない…

私に取って今必要なことだと思っていたので少し残念だけど、こればかりは仕方がない。

数週間前から、少しづつ食事量が減る父を見て予想できていたことなので。

そういうこともあるか、と。

 

むしろ父が亡くなったのに落ち着いている自分が不思議だ

写真を見たりすると寂しいなと思って、あの時父はずっと優しかったなと思って涙が出てくる時もあるけれど

基本的には落ち着いてる。不思議だな。

 

さて

最初にマインドフルネスに触れたのはたしか2019年ごろ

鬱っぽい状態が辛くて、脱出方法をネットで色々検索していて掲示板で教えてもらった

 

参考になるテキストは何かって言われれば、たぶんジョン・カバットジンの"マインドフルネスストレス低減法"、になると思う。

これで全てかもしれない。

その他中国の古い本も読んだが、さっぱり理解できなかった。

 

それより10年くらい前に鎌倉の円覚寺に泊まりで参禅したり、他にもたまに座禅に行ったりしたことがある。

それはそれで良いのだが、どうしても坐禅は寺に行かないとできないような気分がしていた。

でも、マインドフルネスの良いところは、やり方が具体的に示されていて(呼吸が、とかレーズンが、とか)寺に行かなくても少なくとも第一歩を始めることができる。

そして私みたいな初心者でもそれなりに効果は得られる。

宗教色がないのが特徴であるというが、先達の足跡は進むにつれて諸所で見えてくる。

西欧の人たちがそれをどう感じるかわからないけれど、私は、昔から人間の抱える悩みは割と似ているんだな、と思った。

やり始めてから、白隠の展示を見に行ったり、いろいろ探してみたが、まずは始めなければ先に進めないことを考えると、マインドフルネスはかなり良いと思う。

 

ただ、講師になったり、リトリートに参加したりというのが、certificateなものを探すと場所によってはお金がかかる、結構。

それなりにビジネスになっている。

 

行ったことがないけれど、サンガとかだとお金のことは気にせず(寄付ということかな)行けるらしいので、それでも良いように思う。

 

 

はてなに帰ってきた

5年やってたブログをやめて1年ちょっとになる。

 

自分としては結構な鬱ブログというか、地獄から這い上がる系でもあった前の内容は、

回復して辛いことを忘れるにつれて、どうでも良くなってしまったので、全部消してしまっていたのだけれど、

最近なんとなくまた、逡巡することができてきて、書きつける何かが欲しくなった。

 

私には人が読んで感動するような文才もなければ、客観的に情報をまとめて提供できるような冷静さもない。

だけど、何か書くことは私にとって大事だ。

そうして、自分が辛かった時も世界の片隅で辛くても生きている名前も知らない普通の誰かのTwitterや、ブログに助けられたこともあったから、

こんなブログが世の中にあってもいいのかな、と思ってみたりもする。

 

そういうわけで、また、はじめてみることにした。